昔話。(その1)

この週末、柄にもなく?
2題ばかり。
しんみりと考えることがありました。

その1)

1995年1月17日。
もう方々で書かれてるし、言われ尽くしているのだろうけれど。

あれから15年。
俺の人生の三分の一。
直接災害に遭われた方々に比べればまだマシだろうけれど。
やはり、一番大好きな街がああなった、という衝撃だけは
まだ感触として残っている。

子供の頃に育った街。神戸市。
1995年ともなれば、もう俺を知っている・覚えている人も
俺がすごしたあたりにはいなかっただろうけれど。
けれども、子供の頃・1970年代に見て覚えている風景が
全て瓦礫と化している姿は、やはり辛かった。
あの無残にのたうち回って倒れたであろう高速道路の下を
無邪気に行き来していた、と思うと、何とも言えなかった。

社会人1年目、訳あって、一人暮らしの安宿を
神戸に借りていた。1990年のころ。
結局1年そこそこで、即座に会社を辞めてしまい、
その後転職先の関係で大阪の茨木市に移ったけれど。

丁度、窓を開けると阪神電車・石屋川車庫が見えていた。

翌日から毎朝、新聞の「名簿」を食い入るように見ていた。
誰も載っていない。安心する。けれどもその刹那、
知らない人でも、こんなに沢山の人が・・・と絶句する。

前日。1月16日。友人の結婚式が大阪であった。
結構「飲む」連中の集まりだっただけに、深酒をして解散した。
当日、午前5時30分過ぎ、目が覚めた。
(なぜかこの時間はしっかり覚えている。)

「飲み過ぎた~。今日、商標の会議があったっけ・・・。」

気のせいか、地鳴りがした。空気がざわめいた気がした。
次の瞬間。

茨木あたりはたしか震度4か5くらいだった?
俺は反射的に寝床の隣のこたつに頭を突っ込んだ。

どれくらい時間がったんだろうか。
気が付くと、こたつの上に本棚が崩れ落ちていた。
CDも散乱しまくっていた。
TVやスピーカーは足元に転がっている。。。
楽器は??無事だった。。。

何が起こったのかTVを見ようとしても停電?何もつかない。

ラジオ!
ひたすら、延々とラジオを聞いていた。
ただ、ただ、神戸で何かが起こった、としかわからなかった。

1時間ほどたって、いきなりTVが音を立てた。
あとは食べることも忘れてずっと見入っていた。

TVから倒壊した高速の映像が見えていた。
子供の頃に通っていた小学校の近くの家がドミノ倒しに
なっている映像を見た。
石屋川車庫も無残になっていた。
文字通り呆然としていた。

翌日、勤務していた特許事務所に向かう途上、電車内は
とても思い空気だった。
梅田のターミナルも、不気味に静かだった。

そして数ヶ月後、ようやく交通網も復帰し始めて、
気になる場所を歩いてみた。

報道では撃滅・壊滅ばかりが言われていたけれど。
意外と?なったもんはしゃぁないよ、という空気が流れていて
妙に安心した。

偶然、知った顔・覚えていた顔とも出会って
「大変やったな~!」「お元気そうでよかった~!」

やっぱりもともと「明るい」土地なんだ。
嬉しかった。

そして。必死に立ち直ろうとする神戸の姿を見て。
嬉しく感じると同時に、なぜか妙な怒りも覚えた。

こういう時のために「税金」を国に払っているのではないの?
と、なぜか怒りを覚えたことも、忘れずにいる。
被災した人を優遇すると「不公平だから」という理由で
金銭的援助を個人に対して行わない、という話があった、と
覚えている。

被災地には総理大臣・政府関係者よりも先にスイスの犬が来た、
ということ、なぜか怒りと共に今でも覚えている。

先例がないからわからなかった、というのは主要閣僚のコメント。
けれども先例が無くとも、「人として」考えれば自然と答えは出せるはず。
情けない。

それから、今まで。

特に何ができる、というものはないのかもしれないけれど。
やはり忘れずにいる、ということは大切なんだろう、と
俺は思う。
忘れずにいる、ということが人の繋がりとして大切なんだろう、と
俺は思う。


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