ステイ・ホーム・フォーミュラ

本当ならコンチキチンの鐘の音と
売り物・人呼びの声と、
そして何よりも動く美術館・山鉾があって、
それからこの街の「夏」が本格化するのに、
今年は新コロのせいで全部なし、
オマケにいつも以上に雨が続いて、
結局気がつけば7月も半ばを過ぎてしまって、
もう「季節感」はどこ行った?
という今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。

いやいや、やっぱり素人考えは蒼かった。
めっさ蒼かった。
新コロ野郎。
第1波と第2波との間にはもう少し「小休止」
くらいあってもよさそうに「期待してた」のに、
その実は「アタッカ」だった、という件。

これはちと堪えたですね。
だって、その「おかげ」で、
大好きなオケ活動も事実上1年間封印。
だからそれをいいことに全然練習せず、
今や実力は右肩下がりで直滑降。
(だったら練習しろ、って。)

でもやっぱり「専門家」ってのはすごいですよね。
もう第2波とみてよろしいのでは?とか、
この先罹患者が倍々ゲームになってもおかしくない、とか。

かなたお江戸の急増ぶりには驚きますが、
それにつられて関西圏も何気に急増してない?

雨合羽がどうした、とか言ってたのはいつのことやら。
やはりこういうのは専門家のアドバイスってのが重要なんだな、
と思う今日このごろ。

そんな今日このごろ。
一瞬「外出OKかっ?」と思いつつ、
我が社の規制は緩和されず(でもそれが正解だと思う)。
で、お休みの日も相変わらず出不精。
だもんで、私もおデブに。テレワーク・デブ。ううむ。
どうにかせねば・・・

と思いつつも、ここのところ
やたらTVで昔の名作・見たかった名作が目白押し。

ということで、今日はその中から
1度は見てみたかった映画の備忘です。

その映画は 「グラン・プリ」 !

これ、レース映画の名作だ、って言われてたので
実際の映画は知らないけれど、
ポスターとか、三船敏郎が出てるとか、
で1度は見てみたいなー、って思ってたんですよね。

ふむふむ、ジャンル的には「カーアクション」ですか。
まあ、フォーミュラレースもカーアクションですし、
ある意味「見世物」な部分もありますが。

で、見終わった最初のインプレッションが
「え?これで終わり?」という感じだったんですねえ。

人に言わせれば「名作」と言うけれど、
俺としてはむしろ「記録映画」的な趣きも。

でも考え方・視点を変えると、1966年としては
めちゃ斬新な映像に溢れたレースシーンもあったり。

実際、フォーミュラ側もかなり協力したそうですもんね。
Ferrariのファクトリーにカメラを入れたり、
はたまた当時の「レーシングサーキット」の様子も
記録としてついつい見入ってしまうし。

特に、シーズン開幕戦がモナコ!
これ、実際に1966年、そうだったんですってね。
だから、カメラアングルは違えど、
違っていても「あぁあぁ、このコーナーは!」とか、
「トンネル出た瞬間」とか。
フィニッシュライン付近の感じとか。
原型は今と一緒、風景が単に60年代、ってだけで
それはそれ、新鮮な感動を覚えたり。

それにまた大らかな時代でもあったんですね。
ピットがあんなだったり、とか、
ピットクルーやマーシャルも普通にコースサイドにいたり
レーンにわさわさ出てきたり。

でも今のような「システマチック」な感じよりも
全然人間味を感じるのはなんででしょ?

それから。
カメラ!カメラワーク!
最初の方は何気に見ていたのですが。
いわゆる「車載カメラ」。
「あー、そうそう、カジノ前・ホテル前ってこんなんよねぇ」とか
「あのラスカスは」とか。
「あの急斜面・急上昇は」とか。
マシンは全然安定しないのに(そりゃ、あれが進化すれば
その行き着く先は「リアクティブサスペンション」だわな。)、
カメラはどっしり安定していて。
それも車の前方だけではなく、ドライバー込みで
後方も安定して移し込んでいたり。

スパウェザーなんて、今の車載と全然変わらないやん?

って思ってふと我に返ったのが、
「これ、1966年の映画よのぉ?」ってこと。
確かに今の車載まで洗練はされてないですが、
確か1980~90年代の車載カメラ、って
こんなんじゃなかった?
いや、もそっと質が落ちてた?
特に中嶋のキャメル・ロータスなんて、
1台だけ?実験的に?つけられてたわけでしょ?
今のようにエアロダイナミズムが発達してれば
「なんでウチだけ突起物(それもデカいの)つけるのよ?」
ってなるんだろうけれど。

でも安定したレースシーンのカメラワークは
ただただ美しい。

そしてそれを見るスタンドの人達や、
スタンドそのものの風景、
看板や教会の屋根に登って見る人々・・・
これって、90’sまでそんなだった気がするなぁ。

そういう何気に・なんでも無い風景ですら、
妙に親近感とか「人間くささ」を感じて
「楽しい」内容でした。

ただ、「映画のストーリー」と言われると、
正直、ちょっと・・・???

フェラーリとBRMは実名で出てるけど。
だったら「ヤムラ」じゃなくって「ホンダ」でもよかったんじゃ、ね?

あ、よく見たら「マネッタ・フェラーリ」とか「ジョーダン・BRM」とか、
「ざーとらしく」微妙にお名前変えてあったりするのね。

いや、レースシーンは秀逸なカメラワークだと思いますが、
その合間合間の「人間模様」の差し挟みがどうにも
今ひとつ映画全体の馴染みが薄い、というか・・・

日々スピードに取り憑かれた男達は
爆発したら一環の終わり、という
エンジンとガソリンタンクを背中に背負って
ガタピシ凄い振動の中
それでもTop、チャンピオンを目指してく・・・

そしてその合間には、それぞれ女達との出会いと別れがあって・・・

というのが淡々と進んでいくだけでしたからねぇ。

だから、映画というより「ドキュメンタリー」?
せめて「セミ・ドキュメンタリー-」?的な印象だったんですよね。

クレジットからも分かりますが、実際にマクラーレンとか
ギ・リジェとか、ブラバム、グラハム・ヒル、フィル・ヒルとか、
「ホンマモン」が脇役でこっそり走ってるわけっしょ?

だからかな。なんだかなー、と。
実際、この頃のレーシング、って死と隣り合わせの興奮を
サーキット全体で共有してたんだろうし。
だからこそ、サーカスの合間には「一息」が欲しい、というのも
今以上なんだろうし。

パイロットは平気で酒・タバコ・女だし。
そんなスピードに取り憑かれた男達に惚れ込む女達の物語も
あるけれど・・・
それらは全部「挿絵」「インターミッション」という感じだし。

だから、正直、2時間50分ほど、ってのはちょっと長かったかな。
それと、レースシーンのドラマが今ひとつ掴みにくかったか。

でも最後は正直驚きましたが、でも妙にナットク。

納得したのは・・・
チャンプを争うアラン(J・ガーナー!)、JPサルディ(イヴ・モンタン!!)、
ストッタード、ニーノの4人それぞれが織りなす人間模様。
アランはマシントラブルでチームメイトを殺しかけたのに、
ストッタードの嫁さんとなんか浮気し始めるし、サルディはサーキットで出会った
アメリカ人フォトグラファーと不倫になるし、ニーノは片っ端から女に手をつける
典型的な(?)イタリア人だし。
そうよのぉ、A・セナが旅立つ頃までは、まだそんな人間模様が
サーキットに漂ってたなぁ・・・と勝手に思って
そういう描写に納得。

それから驚いたラストってのは。最初サルディが名前と血液型を書かれたブレスレットの
アップと、アメリカ人フォトグラファーとの会話で「それはレースの後で」って台詞で、
一瞬「死亡フラグ」が立ったのか?と思ったけれど(振り替えればそういう伏線は
たっぷりあった)、そしたら4人とも同じようなシーンが続いて、
しかもレース中に、それぞれの「彼女」と交わした会話が回想で出てきて・・・

え?だれが死亡フラグやねん?
って思ったら、よりによって?でも一番納得?のサルディ?
そして彼の死を持ってフェラーリはそのまま走らせたらチャンプだったかもしれない
ニーノを黒旗で呼び戻してレースキャンセル・・・

で、結局アランが優勝、ストッタードが2位。
表彰台に乗るアランと三船敏郎、いやさ「ヤムラ氏」とが喜ぶ姿を
群衆の中から半ば悔しそうに見上げるストッタードに気がついて
表彰台に引き上げて、
多分?それで和解?ストッタードの嫁さんは元の鞘に収まってるし・・・

とまぁ、淡々と書いたらそういう印象だったのですが、
映画も約3時間、淡々と描く・・・
であれば、やっぱりこれ、1966年のシーズンドキュメント、であっても
よかったなー、とチラリと思うわけで。

でも改めて。

66年当時の「レーシング」が如何に「人間くさい」ものだったのか、
という意味を知る、ということではとてもよく出来た作品だったなぁ、と。

スパの昔のコースはあんなだった、とか。
モンツァのバンク・複合コースはそうなってたのか、とか。
モナコはやっぱりいつまでもモナコだったか、とか。

ドラマ性という観点からだと「ラッシュ」、
でもドキュメンタリー性という観点からだと「グラン・プリ」かなぁ・・・

そう思った「ステイ・ホーム」の1日でした。
(って、ちゃんと仕事はしてたよー!)





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