アフターコロナのオーケストラ?

年の初めは元号も「令和」になって、
とある政党は「令和デモクラシー」とか言ってるけど、
そろそろ「令和なんちゃら」ってものが
芽生えるのかな・・・と期待してたのに、
まさかこんな災厄が降りかかる1年になるとは
全然思ってもみないまま、
とうとう7月もオシマイ、いつのまに
真夏になっちゃうの?と嘆き悲しむ今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか?

いっや~。
今年に入ってもう何度も出てるcovid-19ネタ。
相も変わらずオソロシや。

いつか例えたかも、ですが。
まるで水槽の中に墨汁を一滴垂らしただけで
あっという間に水槽が真っ黒になっちゃう、
そんだけ伝播力が強い、ってこっちゃね?

って素人ながらに心配するんっすよね。
(あ、当然、今日も、以下は素人考えなのでご勘弁を。)

もう、え、なんですか。
流行の始めに「熱湯でウィルスは死ぬ」だの
「熱に弱いから夏場は大丈夫」だの
(それだと、なんで真冬のブラジルであないに流行るの?)
そんなアホアホフェイクだらけ。
だからそう遠くないウチに、
タマネギかゴボウ茶か、焙じ茶あたりが
出てきても良いんじゃ無かろうか?

やっぱりここへ来て偉大なのは「専門家」。
彼らはある面謙遜して
「covid-19に関する専門家はまだいませんよ」
と言いながら。
やはりこの不安な時勢にあって、
政治家からはなんらpowerfulな言葉もなく、
野党だって、例によって揚げ足とってばかりで
ろくな対案もなし。

そりゃ諸外国から見たら、
「それで、なんでニッポンは大流行・パンデミックを
押さえきってるんだ?」って思うでしょうネ。

経済1流、政治は3流、と昔は言われましたが。
今や経済も思いつきで弾撃ってる感じだし。
現金給付だって、1人10万、ってあっという間に消えて無くなるし。

そんなこんな、のコロナ渦で。
プロオーケストラはさすがに「これ以上は持たない」ということで
半ば強引とも言える状態で幕を明けはじめたようですね。

なんとなく、まだ関東に比べて感染者数が一桁少ない関西の方が
先に開催しつつ、関東も1カ月遅れでおなじような展開になる、
という予想はお世話になってるプロオケのセンセ様から聞きましたが。

確かにそういう展開ではあるんですよね。

もう業界じゃ有名なんだろうけれど。
東京都交響楽団や琉球交響楽団の実証実験には
大変勇気づけられるものが。

そしてアマチュア(他に食い扶持がある趣味でオケやってる人)オケと
プロオケの違い、っちゃあ、プロは「演奏会をしない」状態だと
収入が文字通り「ゼロ」になって、オケが破産・倒産しちゃう、
ってことなんですよね。
当たり前のように思ってましたが、ことここに至って
認識を大いに改めた次第。

そしてもう自粛期間も含めて3カ月以上?一番遅いのでも2月末頃、で
一端オケの演奏会の灯火が消えたけど。
その間、再会目指して色々トライアルがあった・・・

というのも知ってはいるのですが。。。

SD=2m間隔、というのを守ったらオケはどうなるか?
という実証実験が各団体で行われたそうで・・・

結果?・・・
そらもう、悲惨な状態だったそうですね。
自分以外の音が聞こえない、
人の音を聞いていたらとても間に合わない、合わせられない、
今までは「わかりません」とか言ったもの負けだったのが、
今やいち早く「わかりません」と言ったもの勝ちな世界だ、とか。

でも彼らはお客様を入れる演奏会にあって、
そのお客様に不安感を与えないように、
ちゃんとSDをキープして演奏会をしているのだ、とか。

場合によっては(ソロとかですが)、プレイヤーの前に
等身大以上(長さ(高さ))2m程の透明フィルムをぶら下げて、
その後ろで演奏する、という姿まで。

知り合いのプレイヤーがヒトコトぶった切ってましたね。
「ナンセンス以外の何物でも無い」と。

でもど素人プレイヤーからみたら、「それでも合わせられる」
というのはプロの凄みだな。と。

いえ、ですね。ご多分に漏れず、ウチのあまおけも
実験はしたんですよ。管と弦とに別れて。
管はまだマシだったようですが(と言う声が多いが、
俺は全然駄目だこりゃ、って思った)、弦はもう
なにがなんだかサッパリワカラン状態だったそうで。

となると(やはりプロプレイヤーから聞いた)今まで以上に
「指揮者の耳とバトンテクニック」が重要になるのだそうで。

そらそやろね。今まではプレイヤー同士で
「お互い聞きあって」ってのが基本だったのが
一気に崩壊したわけで。
聞くと絶対タイムラグが生じるから、
中心に位置する指揮者が「プレイヤーの耳を持って」
「的確に」全体に指示を出す・・・

これからの時代、これが出来ない指揮者は淘汰されるんじゃ、ね?だって。
コワイヨー。

となると・・・
プロでもやっとのことなのに、アマチュアのオケでそれをやる、ってのは、ねぇ。
アマオケなんて極論すればただの自己満足。
普通にセットして、それでも全然バラバラな演奏会に付き合わされた日には、
オケ?指揮者?の自己満足?そないなもんに付き合って時間を浪費してしまった・・・
と思うこと請け合いですもん。(自分のことは棚に上げる!)

だから、オイラだって早くアマオケ再開したいけれど・・・

もしそれで万が一があれば、我が家だけじゃなく親戚縁者、会社関係まで巻き込んで
大炎上するのは今の時代もう見えてますもんね。
(そういやHIDEさんが「もうそろそろそういう匿名で悪意ばらまくのやめない?」って。
それ、大賛成!)

それと今回の一連の騒動・オケで改めて分かったのが。
なんでオケの配置がああなっているのか、ってことでしたね。

上手くは言えないけれど、やっぱり200年近くかけて積み上げた歴史には
それなりのストーリーがある、と。

全然ちゃうけど、紳士服、いわゆるスーツのドレスコードや、
形などが現在の形に完成したのは100年ほど前、それ以来、
デザイナーが色々と提案しても、やはり普通に職場に着ていくスーツは
もう、アレ、ですもんね。
なんでネクタイが?とか、ジャケットとか、ポケットとか・・・
もう色々決めごと、決まり事があるけれど、
それって、意味があるなし以前に「そういうものだから」って感じじゃないっすか?

だからオケの配置だって「そういうもんです」ということなんだろな。
そして前後左右の間隔だって、場所が無かったからとかじゃなく、
自然とああいう配置になっていったんでしょうね。

そういや、ずーーーーーーーーいぶん前、浪速老舗オケが
ハイドンの交響曲をハイドンの時代通りにセットしてえんそうして、
それはそれでほっほー、オモロー、だったのですが。
後で聞けば、血気盛んな団員さんが事務局に怒鳴り込んだのだ、とか?
「なんであんな演奏者に不利なセットを許すんだっ?!」って。
(練習場でも噛みついたらしい。)
そりゃ、確かに「実証実験・体験」という面ではよかったけれど、
演奏会=提供される料理の出来がよくなけりゃ、
「まあ、美味しいんですけどね、ほほほ」と、岸朝子さん状態になること
必定ですもんね。

とまぁ、このコロナの時代。
withコロナとか、アフターコロナ、とか言われはじめてますが。
ワタシャ、withじゃなく、「アフター」が気になりまして、ね。
だって、やっぱり人類の英知を結集した防疫壁は
復活の日のMM-88クラスでないと、簡単には敗れ去ることはないだろうし。
やっぱりここでもきっと人類は未知なるウィルスを征服できると
思うのですが・・・

いったん、SDとか、それをキープした演奏、ってのを体験してしまった
オーケストラは、元に戻るんだろうか?
戻ったときどうなるんだろうか?
全然変わらなかったら、それは「進化に失敗した種族」として
滅びるんじゃなかろうか?

ふと、そんなことを考えたり。

となると、実はますます「指針を示すべき」プロフェッショナルの
立ち居振る舞いが重要になるんだろな。
いや、これはオケだけじゃなく、あらゆるジャンルに言えるんだろネ。

でも今は・当面は、SDで演奏しても舞台上は全然問題ないですよー、
っての、プロのオケ連盟が死に物狂いで世間様にアピールして欲しい。
だって、そんなのアマがやっても「粋がってるだけ」とか「目立ちたいだけ」
とかボロクソ言われるの、分かってるもん。

どうか、プロオケの皆様。
SD気にせず演奏しても舞台上は大丈夫だよー、っての、
積極的に世間様に発信して下さいな。
ひいては、それがアマチュアの再起につながり、
オーケストラってのが再生していくんだろなー・・・

ってそう思い、願ってます。

さー。復活の日を目指して笛の練習頑張らないとー(棒読み)。。。

ステイ・ホーム・フォーミュラ

本当ならコンチキチンの鐘の音と
売り物・人呼びの声と、
そして何よりも動く美術館・山鉾があって、
それからこの街の「夏」が本格化するのに、
今年は新コロのせいで全部なし、
オマケにいつも以上に雨が続いて、
結局気がつけば7月も半ばを過ぎてしまって、
もう「季節感」はどこ行った?
という今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。

いやいや、やっぱり素人考えは蒼かった。
めっさ蒼かった。
新コロ野郎。
第1波と第2波との間にはもう少し「小休止」
くらいあってもよさそうに「期待してた」のに、
その実は「アタッカ」だった、という件。

これはちと堪えたですね。
だって、その「おかげ」で、
大好きなオケ活動も事実上1年間封印。
だからそれをいいことに全然練習せず、
今や実力は右肩下がりで直滑降。
(だったら練習しろ、って。)

でもやっぱり「専門家」ってのはすごいですよね。
もう第2波とみてよろしいのでは?とか、
この先罹患者が倍々ゲームになってもおかしくない、とか。

かなたお江戸の急増ぶりには驚きますが、
それにつられて関西圏も何気に急増してない?

雨合羽がどうした、とか言ってたのはいつのことやら。
やはりこういうのは専門家のアドバイスってのが重要なんだな、
と思う今日このごろ。

そんな今日このごろ。
一瞬「外出OKかっ?」と思いつつ、
我が社の規制は緩和されず(でもそれが正解だと思う)。
で、お休みの日も相変わらず出不精。
だもんで、私もおデブに。テレワーク・デブ。ううむ。
どうにかせねば・・・

と思いつつも、ここのところ
やたらTVで昔の名作・見たかった名作が目白押し。

ということで、今日はその中から
1度は見てみたかった映画の備忘です。

その映画は 「グラン・プリ」 !

これ、レース映画の名作だ、って言われてたので
実際の映画は知らないけれど、
ポスターとか、三船敏郎が出てるとか、
で1度は見てみたいなー、って思ってたんですよね。

ふむふむ、ジャンル的には「カーアクション」ですか。
まあ、フォーミュラレースもカーアクションですし、
ある意味「見世物」な部分もありますが。

で、見終わった最初のインプレッションが
「え?これで終わり?」という感じだったんですねえ。

人に言わせれば「名作」と言うけれど、
俺としてはむしろ「記録映画」的な趣きも。

でも考え方・視点を変えると、1966年としては
めちゃ斬新な映像に溢れたレースシーンもあったり。

実際、フォーミュラ側もかなり協力したそうですもんね。
Ferrariのファクトリーにカメラを入れたり、
はたまた当時の「レーシングサーキット」の様子も
記録としてついつい見入ってしまうし。

特に、シーズン開幕戦がモナコ!
これ、実際に1966年、そうだったんですってね。
だから、カメラアングルは違えど、
違っていても「あぁあぁ、このコーナーは!」とか、
「トンネル出た瞬間」とか。
フィニッシュライン付近の感じとか。
原型は今と一緒、風景が単に60年代、ってだけで
それはそれ、新鮮な感動を覚えたり。

それにまた大らかな時代でもあったんですね。
ピットがあんなだったり、とか、
ピットクルーやマーシャルも普通にコースサイドにいたり
レーンにわさわさ出てきたり。

でも今のような「システマチック」な感じよりも
全然人間味を感じるのはなんででしょ?

それから。
カメラ!カメラワーク!
最初の方は何気に見ていたのですが。
いわゆる「車載カメラ」。
「あー、そうそう、カジノ前・ホテル前ってこんなんよねぇ」とか
「あのラスカスは」とか。
「あの急斜面・急上昇は」とか。
マシンは全然安定しないのに(そりゃ、あれが進化すれば
その行き着く先は「リアクティブサスペンション」だわな。)、
カメラはどっしり安定していて。
それも車の前方だけではなく、ドライバー込みで
後方も安定して移し込んでいたり。

スパウェザーなんて、今の車載と全然変わらないやん?

って思ってふと我に返ったのが、
「これ、1966年の映画よのぉ?」ってこと。
確かに今の車載まで洗練はされてないですが、
確か1980~90年代の車載カメラ、って
こんなんじゃなかった?
いや、もそっと質が落ちてた?
特に中嶋のキャメル・ロータスなんて、
1台だけ?実験的に?つけられてたわけでしょ?
今のようにエアロダイナミズムが発達してれば
「なんでウチだけ突起物(それもデカいの)つけるのよ?」
ってなるんだろうけれど。

でも安定したレースシーンのカメラワークは
ただただ美しい。

そしてそれを見るスタンドの人達や、
スタンドそのものの風景、
看板や教会の屋根に登って見る人々・・・
これって、90’sまでそんなだった気がするなぁ。

そういう何気に・なんでも無い風景ですら、
妙に親近感とか「人間くささ」を感じて
「楽しい」内容でした。

ただ、「映画のストーリー」と言われると、
正直、ちょっと・・・???

フェラーリとBRMは実名で出てるけど。
だったら「ヤムラ」じゃなくって「ホンダ」でもよかったんじゃ、ね?

あ、よく見たら「マネッタ・フェラーリ」とか「ジョーダン・BRM」とか、
「ざーとらしく」微妙にお名前変えてあったりするのね。

いや、レースシーンは秀逸なカメラワークだと思いますが、
その合間合間の「人間模様」の差し挟みがどうにも
今ひとつ映画全体の馴染みが薄い、というか・・・

日々スピードに取り憑かれた男達は
爆発したら一環の終わり、という
エンジンとガソリンタンクを背中に背負って
ガタピシ凄い振動の中
それでもTop、チャンピオンを目指してく・・・

そしてその合間には、それぞれ女達との出会いと別れがあって・・・

というのが淡々と進んでいくだけでしたからねぇ。

だから、映画というより「ドキュメンタリー」?
せめて「セミ・ドキュメンタリー-」?的な印象だったんですよね。

クレジットからも分かりますが、実際にマクラーレンとか
ギ・リジェとか、ブラバム、グラハム・ヒル、フィル・ヒルとか、
「ホンマモン」が脇役でこっそり走ってるわけっしょ?

だからかな。なんだかなー、と。
実際、この頃のレーシング、って死と隣り合わせの興奮を
サーキット全体で共有してたんだろうし。
だからこそ、サーカスの合間には「一息」が欲しい、というのも
今以上なんだろうし。

パイロットは平気で酒・タバコ・女だし。
そんなスピードに取り憑かれた男達に惚れ込む女達の物語も
あるけれど・・・
それらは全部「挿絵」「インターミッション」という感じだし。

だから、正直、2時間50分ほど、ってのはちょっと長かったかな。
それと、レースシーンのドラマが今ひとつ掴みにくかったか。

でも最後は正直驚きましたが、でも妙にナットク。

納得したのは・・・
チャンプを争うアラン(J・ガーナー!)、JPサルディ(イヴ・モンタン!!)、
ストッタード、ニーノの4人それぞれが織りなす人間模様。
アランはマシントラブルでチームメイトを殺しかけたのに、
ストッタードの嫁さんとなんか浮気し始めるし、サルディはサーキットで出会った
アメリカ人フォトグラファーと不倫になるし、ニーノは片っ端から女に手をつける
典型的な(?)イタリア人だし。
そうよのぉ、A・セナが旅立つ頃までは、まだそんな人間模様が
サーキットに漂ってたなぁ・・・と勝手に思って
そういう描写に納得。

それから驚いたラストってのは。最初サルディが名前と血液型を書かれたブレスレットの
アップと、アメリカ人フォトグラファーとの会話で「それはレースの後で」って台詞で、
一瞬「死亡フラグ」が立ったのか?と思ったけれど(振り替えればそういう伏線は
たっぷりあった)、そしたら4人とも同じようなシーンが続いて、
しかもレース中に、それぞれの「彼女」と交わした会話が回想で出てきて・・・

え?だれが死亡フラグやねん?
って思ったら、よりによって?でも一番納得?のサルディ?
そして彼の死を持ってフェラーリはそのまま走らせたらチャンプだったかもしれない
ニーノを黒旗で呼び戻してレースキャンセル・・・

で、結局アランが優勝、ストッタードが2位。
表彰台に乗るアランと三船敏郎、いやさ「ヤムラ氏」とが喜ぶ姿を
群衆の中から半ば悔しそうに見上げるストッタードに気がついて
表彰台に引き上げて、
多分?それで和解?ストッタードの嫁さんは元の鞘に収まってるし・・・

とまぁ、淡々と書いたらそういう印象だったのですが、
映画も約3時間、淡々と描く・・・
であれば、やっぱりこれ、1966年のシーズンドキュメント、であっても
よかったなー、とチラリと思うわけで。

でも改めて。

66年当時の「レーシング」が如何に「人間くさい」ものだったのか、
という意味を知る、ということではとてもよく出来た作品だったなぁ、と。

スパの昔のコースはあんなだった、とか。
モンツァのバンク・複合コースはそうなってたのか、とか。
モナコはやっぱりいつまでもモナコだったか、とか。

ドラマ性という観点からだと「ラッシュ」、
でもドキュメンタリー性という観点からだと「グラン・プリ」かなぁ・・・

そう思った「ステイ・ホーム」の1日でした。
(って、ちゃんと仕事はしてたよー!)





「今年の」50年に1度

先週?いや、そのもう少し前から?
梅雨・梅雨前線、停滞、線状降水帯、
河川氾濫・決壊、土砂崩れ・・・・
もう考え得る限りの災害が
ワンセットで特に九州に居座って
もうかれこれ1週間?
という事実に改めて驚く今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。

弟@オケは九州出身で。
そういや、会社の(数少ない)気心置けないヤツも、
学生時代からのホントの弟のようなアイツも、
どういうわけか、みんな九州出身で。

そんなこんな、でつい他の地域よりもTVニュースに
見入ってしまう俺なのですが。

こうも酷いのが続くともう言葉もなくなるばかり・・・

被害に遭われた皆様には
心よりのお悔やみを。
1日も早く、元の生活に戻れますように・・・
と言いつつ、本当に戻れるんだろうか?
と、全く関係ないくせに、エラそうに言うんじゃねぇ!
って言われちゃいそうですが・・・

ここ数年の、特にこの時期と秋、ですか。
毎年どんどん「雨」が酷くなってません?
個人的な印象としては2010年代に入ってから、
なのですが。

気象庁も従来の単純な大雨警報とかじゃ
もう危機感伝わらなね、もっと分かりやすく・・・

って、注意報で「黄色」、警報で「赤色」、を使ったもんだから、
「特別警報」は紫色?
でもそれがかえって予報の細分化になったか?
今度はレベル1~5の評価になったけど、
すでに、もはやどれを言われたらなにをすれば良いのやら。

予報を出す気象庁も、それを伝えるメディアも、
一度整理してほしいですね。
伝える側がすごく心で「アブナイから逃げろ!」と
叫んでいるオーラは感じるのですが。

でも、先日ニュースで熊本だった、かな?
で被災された人がインタビューに答えていたけれど。
「数年前、50年に1度の大雨、って入ってたのに
あれから50年もたっていない(たった2~3年)はずなのに
また50年に1度、って入ってる!?
毎回50年に1度って言われてももう信じられない」
と泣き叫んでいた姿が妙に焼き付いてしまっています。

この10年に1度、50年に1度、100年に1度、
って表現はそれだけ「おそろしいぞー」ということの
裏返しなんだろうけれど。

受け止める側が怠惰で素直に避難しないから、という
側面もあるのだろうけれど。

けどね、さっきの5段階評価じゃかえって混乱するし、
10年に1度の大雨、ではすでに俺は鈍感になっちゃってるし。

なんで毎年、こんな大災害を起こす豪雨が発生するように
なったんだろね。

もう地球温暖化とかじゃなく、すでに地軸がずれて
日本はより一層「亜熱帯」に近づいた、とか?
(EVAの世界?日本は常夏の国になってる?)

そう思いたくなるほど、毎年のように「ことしは
異常気象で」ってナレーションが流れるけれど。

「異常気象」も毎年起これば「異常」じゃないんじゃ、ね?
って恐れおののくばかり。

そういや、シベリアで38℃を記録した、って?
でもって、溶けた「永久」凍土から昔生息してた生物の
氷付け標本が出てきたのは良いけれど、
同時に「炭疽菌」も解答されてしまった、とのこと。

新コロも怖いけれど、それに加えてサハリン肺炎なんて、
もうヤダよー。

それから水害への備え。
こればかりは、地震同様、日本の河川をまとめたマップ使って
アーダコーダと議論しておられるようですが。

でも地震対策レベルで水害対策をやってたのかな?

そういや。
最近の国営放送局じゃ、データを細密化して、
河川の反乱の状況、みたいなのを示してるようだけど、
(この図を見ると、日本列島ってホントに毛細血管が
張り巡らされた土地、って感じしますね。)
もうここまで毎年「50年に1度」の大水害が起こるなら、
該当区に住んでらっしゃる方には大変申し訳ないけれど、
「別の場所に安全な箇所を築きますから、そちらへ引っ越して
下さい」と役人の幹部クラスが頭を下げても
ええのでは?

とにかく、もう「異常」が「異常」でなくなってるもんね。

如何に四季の移ろいに彩られて、
瑞々しい風景画そこかしこにあるニッポン。
でも今やその姿も凶暴化してますもんね。

去年、19年のNスペでしたか。。。
パラレル東京。
「今」あれが現実に起こったらどうなるんだろうね?
首都直下型大地震+100年に1度の豪雨+パンデミック

なんとなく?
今の政権だとただやるだけやって「あとはおまかせします~」
ってキレイ後並べて自分達はとっとと東京脱出?

でも、毎年10年(50年)に1度の
今まで経験したことのないような大雨になるので
皆さん警戒をおこた割らずに・・・
と言われてもなぁ・・・・

ピンと来ない自分が時々鬱陶しくなったり。

アレ(ドラマ・「パラレル東京」)を見た人でも、
今回のパンデミック+大水害、
どうやって切り抜けたらいいんだろう?って考える方
はきっと多いと思い舞うよ。

あのドラマの最後の主役の長台詞はなかなかのもんでした。
「大切な貴方の大切な命を守るために貴方を大切に思う人が
助けに来ようとしているのに、その貴方を大切に思う人の
大切な命がなくなってしまう。だから今すぐ逃げて!」
ってな感じでしたかね?

ここ数年の「10年・30年・50年に1度の大雨」
が引けた後の被災された人達のご意見って、だいたい
「こんな急に増えるとは思わなかった」
「風が出ていないから避難せず様子を見よう!」
 とかなんとかで「もう少しで/判断を誤ったままだったら」
自分の命はなかったのだ、というのが一番自然に思える。。。
俺も正直「自分の住むあたりはいくらなんでも・・・」
っておもいますよね。
でも8年前、特別警戒警報が創設されて早速・第1号が
適用されたのがもう7年前の俺が住んでいる所・・・

ホント、災害ってどこから襲いかかってくるだか・・
 
新コロはもうすぐ半年?
新コロのニュースが新聞のTopに来なくなったら
ある程度大丈夫なんだ・・・と思ってましたが、
ところが、別の大災害が発生したからって!!!

最初のころは、たかが「新型インフルエンザ」
なんだから、と随分お気楽な対応だったと覚えていますが。
例の専門家会議を都合良く使ったのかな?
即ちこれ以上の専門家会議はある意味不要だ、
みたいにいわれた日には、もうね。
で、スピーディーな決断、ってのが約2カ月かかったりとか。。。

だったら、専門家が広報の専門家と組んで
常時現状を知らせる、それくらい
してもらった方がまだマシな気がする。

なんであれ。
豪雨、新コロ・・・・・
怖がりすぎるのは良くない、というけれど。
全く自分は大丈夫、ってのは違うだろうし。

俺みたいな小市民なんか、もう難しいことは
どうでもいいから、ごくごく普通に過ごさせてくれ、
ってことだけが「ささやかな夢」なんだが・・・

天気に会社にオケに・・・
みんな、普通じゃあかんのかな?


新コロのバカ(続)

とうとう1年も半分が過ぎて(厳密真ん中の日、っていつなんだっけ?)、もう7月。
いつもは6月って、俺のいる あまおけ の本番が終わって、
その先、一昨日「真面目に」子供向けの演奏家だった、ってのにぃ・・・
そして今週から新しい定期公演に向けて練習が始まるはずだったのに・・・
いつのまにか「梅雨終盤」とお天気お姉さんが言っている今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。

それにしても・・・
新コロのバカ・・・

この数ヶ月の色々、で文化・芸術はこの国にとって不要不急のものだった、
と改めて思い知らされることになるとはね。

夜の街がどーした、とか人が密にいて「会話すれば」って
盛んに言ってるようですが。

演奏会とか、美術館とか、映画館とかで
例え隣同士に座っていたとしても、一緒に見て回ってるとしても、
それこそマスクさえしとけばええやん?
夜の街が、って言うけど、
それかて働いている人が諸悪の根源みたいにいってるけれど、
きちんと「基本」ができていないからこうなってるわけっしょ?

それを踏まえずに?(たぶん)
自粛警察とかが出てきて襲われたり、
ネットで炎上されたらたまらんもんね。

だからやっぱりどうしても控えちゃうけど。

市中感染が爆発的にならないなら、
例えばオケなんかSD保って演奏するのなんてやっぱナンセンス、
100年かけて作られてきたフォーマットには
やっぱりそれなりの意味があるわけで。
この辺、紳士服=スーツと一緒やね。
だから本来の距離より離れたら、
それはもう音楽として聞いても痛々しいばかり。

プロオケからは普通の距離で大丈夫、
って発信も始まってるようですが、
できりゃもう一歩踏み込んで、
SDでの演奏は事実上不可、
良い子の皆は真似しないでね、
くらい発現・発表してくれへんかな?

いや、レポートにはちゃんと書いてるんだろうけれど、
感情的になってしまうアマオケプレイヤーは
表面だけ読んで、
「それ、いますぐSDなんか辞めて普通にやろうよ」
って言い出すけれど。

今度はそこには行政の壁が。
3密回避、ってことでひと部屋の使用人数に制限がかかって。
だーかーらー、ちーがーうーでーしょっ!

そういえば、元衆議院議員の豊田氏、
実は感染症のプチ?専門家だったって?
こないだTVでめっさまともなこと言ってて、
テロップがなけりゃ、あの豊田氏とはわからんかった。
いやいや、やっぱ議員「先生」になると
人生狂うのかしら。

いや、それはどーでもいいけど。
利用に関してもプロから助言があればいいなー。

それよりもっと悲惨なのは合唱団だって?
確かにクラスター出たからなぁ。

でもクラスターが出たとは言っても
まず第1波の時は全然様相が分からなかったわけだし、
アレもかなり初期だったはず。

そりゃ少々自覚があってもついつい・・・
ってなっちゃったろうな。

対して、ある程度報道が進んだ段階での
京都のアレ。
ああいうのはやっぱり不注意って言われても
しゃあないよね。

でも、でもね。
いつからこの国、ってこんなギスギス
した空気に覆われるようになったんだろうね。

少なくとも、1.17の時は「頑張ろう神戸」で
数年間、少なくとも神戸近郊はなんやしらんけど
お互いサマヤン、がんばろうな、って
ある意味緩やかなオーラがあったと思うし。

3.11だって、文字通り日本を揺るがす
大惨事だったのに、それでもなんとかがんばろうよ、
ってオーラがあったと思うけど・・・

そっか、同時に起こったフクシマかな・・・
あそこで(当人達は何の責任もないのに)
日本の村八分文化(?)がついに表に出たのかな?

その空気が、今の新コロに受け継がれて、
お医者さんやご家族をばい菌扱い?
信じられん。
知らず知らずのうちに罹患する、って分かった今でも。
無自覚無症状の症例が多数報告されても。
そういう人達を叩きまくる不穏な空気。

そう言うときこそ、スポーツ、文化、芸術、
って思うんだけどなー。

でもそっちでも(メガ)クラスターになったら
大惨事、とばかりにどこか腰の引けた対応。

だったら、って申し訳ないけれど、
アマチュアが実験台になる、なんてことは
金輪際御免被りたいしなぁ。

プロだから、アマだから、って
こんな時に区切るのは卑怯なんだろうけれど。

でも他方、プロってのはそれでメシ食ってる人、
アマってのはそれを趣味に愉しんでる人、
ってことなら、やっぱりメシ食ってる人の
言動、って同じジャンルのアマチュアには
見本になるし、手本であるべきだ、って思うんですよね。

そういや、数年前にいたっけな。
明らかにアマチュア食い物にしてるプロとの会合。

でもね、ひとつ線引きが消える瞬間があって。
それって、「お金」が動いたときだ、って思うんっすよね。
例えアマチュアであっても、対価を頂くならば
それは立派な「お仕事」。
依頼した側は「貴方様にお願いします」って言って
お地蔵様のところに小判を置くわけであって。

受けた仕事、キッチリ方をつけてやりやしょう。

ってのがマストなんだろな、とおもうんだけど。

おっと、随分話が逸れてしまいましたが。
美術館はようやく再起動し始めたようで、
これはただただめでたい限り。

でもさっき書いたように
「自分の美術館でクラスターが出たらどうしよう?」
ってことでまだ腰が引けてるけれど。

受け入れる側も訪れた側も、
考え得るできる限りのことをやり尽くした上であれば
ハコは開けるべきだし、開けなきゃダメだ、って
思うんですよね。

これに加えて。
演奏会、ってやつも同じく
考え得るできる限りのことをやり尽くした上で、
さらにプロ以上に「自己満足」の発表会なんだから、
せめて「上手に」とは言わないにしても
「一生懸命練習しました」ってバックボーンがないと、
やっぱり安易にプロのまねごとしちゃいかん、
って思うのね。

それこそ。
単純に考えて、プロはお家と練習場とホールと「だけ」を
行き来すればいいけれど、彼らはそれが仕事で、
それをやることで「ご飯」食べてるわけだし。

それに対してアマチュアってやつはまずは「お仕事」で
ご飯たべてるんだから、安易にプロをまねちゃだめなんだろな。
特に「練習量」ってやつはきっちり確保した上でないと
ハコは開けちゃダメだ、って思うばかり。

でも、そんなこんなを考えさせる、
考えさせられたcovid-19。

もしかして、今一度みんなで
「一体全体、あんた、なにやりたいのよ?!あんた、バカぁ?」
って考える時間が与えられたのかもしれないね。

始まりのあることには何事にも終わりはある。
けれどもそれが「どういう終わり方をするのか」が問題なのだ。

とは、小松左京「復活の日」の一節(だったかな?)。

こと、オケに限って言えばwithコロナ、っていうより
アフターコロナ、ってのを考えた方がいいな、って思う今日このごろ。

そんな最中、まずは好き嫌いなんか自分勝手に言わず、
目の前に出てきた素材をきちんとやりこなそうよ。
あらゆる意味でやるべきことをやって、対策も打って。
しっかり準備ができて、それで始めて世間を動かすしか
なかろ。

そりゃね、毎日焙じ茶1リットル飲めば新コロにはかかりません、
ってならそうするけどさー。

あとは、日米欧で競争になってるけれど、
ワクチン、対抗薬、だろな。
早く出来てくれればイイのに。
やっぱり今年いっぱいはかかるのかな。
だとしたら、オリンピックだってやるやらないを言える
レベルじゃないまま2021年になるんじゃ、ね?

それと、素朴な質問。
withコロナ、って言うけれど。
これ、終わりはあるのかな?
だれが「(とりあえず)終わりました」って宣言すれば
皆、安心できるようになるんだろ?
それはいつなんだろね?

久しぶりに映画「復活の日」の予告編っての見ましたが。
(凄い時代になったもんだ。)
「神よ あなたは私達に何を為されたのですか?」
ってコピーが。
まさに今はそれなんだろうな。
大いなる意思があるなら、それが何かを試そうとしてるんだろか?

哲学っぽくなるけれど。今はそう考えて
自分を自分のなかに収めつつ・・・

新コロのバカー。